公衆電話が日常にあった時代の思い出/街から消えゆく公衆電話

2017y03m25d_233959553           使われなくなった駅の公衆電話の列

日本の公衆電話は、長い歴史があります。
しかし全盛期というと、
テレホンカード式の公衆電話を1982年(昭和57年)12月に、
旧日本電信電話公社(電電公社)が開始した80年代。
そしてポケットベル(ポケべル)の爆発的ブームで
公衆電話の利用者が急増した90年代。
以外に公衆電話の全盛期はほんの十数年間にすぎません。

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公衆電話の歴史

公衆電話が日本に登場したのは1900(明治33)年。

上野駅と新橋駅に設置されたのが最初です。

当初は英語を直訳して公衆電話ではなく
「自動電話」と呼んでいました。

1925(大正14)年に「公衆電話」と改称されました。

全国に一般的に普及したのは昭和20年代以降のことです。

1953(昭和28)年に「目立つように」と
赤く塗られた「赤電話」が登場し、
利用者が増えていきました。

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公衆電話が当たり前にどこにでもあるようになたのは
1974年(昭和49)年以降です。

80年代から90年代前半にかけてカード式電話の導入や
ポケットベルの爆発的ブームのため利用者が急増しました。

それにともなって、公衆電話の設置台数は84年をピークに
80万台を維持する時期が十数年間続きました。

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初期の磁気テレホンカード公衆電話
:硬貨兼用 (MC-1PN)

:カード専用 (MC-2)

携帯の普及で減少の一途の公衆電話

90年代後半には、いよいよ携帯電話の一般的な普及が始まると、
日本社会の公衆電話は都心部を中心に
急激に減少の一途をたどりました。

公衆電話もここ10年間で、めっきり影が薄くなっているのは
あなたも感じていることと思います。

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ついこないだまで電話ボックスが立っていた場所(都内にて)

携帯電話の爆発的な普及で利用者が激減し、
全国的に撤去が続いています。

1984年に記録した90万台のピーク時の4分の1以下(2017年現在)
に減っています。

年間に1回も公衆電話を使わなかった人が
大半を占めているのが現状です。

しかも利用した人でさえ利用の理由は
「スマホを忘れたから」なのです。

2011(平成23)年3月11日午後2時46分に
東日本大震災が発生した日は、
首都圏では、
携帯がつながらないという大混乱に陥りました。

そんな中で、公衆電話からの発信は難なくつながったことに、
人々を驚かせたのです。

東京都内の帰宅困難者は、
公衆電話に殺到し「災害に強い電話」として
再認識されました。

しかし、NTT東日本は
利用率の低い公衆電話の撤去を続けています。

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 携帯電話の伸びによる公衆電話の減少は世界的な傾向

森高千里の『渡良瀬橋』に出てくる公衆電話は今?

過去の通話機器になりつつある公衆電話ですが、
そんな中、珍しい公衆電話もあります。
栃木県足利市の理髪店「尾沢理容店」の前にある
公衆電話です。

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歌詞に出てくる実際の床屋と公衆電話

歌手の森高千里さんが歌った『渡良瀬橋』に出てくる
公衆電話です。
『渡良瀬橋』は1993年のヒット曲で
「床屋の角にある公衆電話を覚えてますか?♪
昨日あなたに電話がかけたく♪
何度も受話器をとったの♪」
と歌った公衆電話。

この有名な公衆電話も
一時は撤去の対象としていたNTT東日本も、
「観光資源だ」との足利市役所の要請を受けて、
撤去を中止した経緯がります。

まとめ

携帯電話が普及する以前の、
公衆電話が日常の中にあった時代を覚えている世代は、
公衆電話とともに、さまざまな思い出があると思います。

恋人や異性との連絡、
悲喜こもごもの連絡、
ポケベル時代の公衆電話・・・
公衆電話は、携帯電話の普及で
その役目を終えたのでしょう。

しかし、災害時の連絡ようとして、
公衆上の通話機器として消滅することは
近い将来はないと思います。

ネット社会、スマホの時代の便利すぎる今、
今となっては90年代までの、
不便な公衆電話での連絡のやり取りも
良き時代の一風景だったのかもしれません。

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