昔のアニメオタクが現在のサブカルチャーの源流になっている

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昭和50年代とは1975年~1984年の10年間のことです。

この10年間に歴史的なアニメブームが巻き起こりました。

このブームの中心的だった10代から20代の人が
いわゆる“オタク的人種”の源流といわれています。

オタクの源流はこのときのアニメマニアからだったのです。

ただしオタクという呼称は当時存在していません。

アニメブームのきっかけをつくったのが、
1974年に第1作目のTVシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』
(1974年10月6日~1975年3月30日)
が本放映されたことが始まりです。

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『宇宙戦艦ヤマト』ブームがオタクの根源

『宇宙戦艦ヤマト』の本放送は視聴率が稼げず、
失敗した“テレビまんが”とされました。

しかし、1975年9月より札幌地域、
1976年1月より読売テレビで再放送されました。

他地域でも続々と再放送が行われるにつれ、
『宇宙戦艦ヤマト』が再評価されたのです。

再放送によって大人気となった
TVシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』は
1977年に『宇宙戦艦ヤマト』の映画第1作目が公開されました。

アニメブームというよりは“ヤマトブーム”だったのです。

それまで子供が見るという概念であった
“テレビまんが”が「アニメ」と称して
はじめて大人にも受け入れられたのが
『宇宙戦艦ヤマト』でした。

このヤマトブームが
世界に誇る日本のアニメ文化の歴史の扉を開けたのです。

ドラマ的要素の高い内容とストーリーの『宇宙戦艦ヤマト』が
1977年に劇場公開されて社会現象となったのです。

映画公開時、熱烈な『宇宙戦艦ヤマト』ファンが
映画館の前で行列を作っていました。

その行列の多くが子供たちではなく、
中・高校生から青年層だったのです。

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それまで日本におけるテレビ「マンガ・まんが・漫画」は、
世間で「文化」としては認識されていませんでした。

あくまで子供を対象とした番組の域を出ませんでした。

しかも当時は「アニメ」という言葉は
一般的には使われていません。

当時は、
TVアニメ→テレビまん
劇場用アニメ→まんが映画
と呼ばれてた時代です。

有名な話ですが、
1974年はテレビアニメ史に永遠に残る
『宇宙戦艦ヤマト』
『アルプスの少女ハイジ』
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『フランダースの犬』
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が 同時間帯でテレビ放映されていました。

『宇宙戦艦ヤマト』
1974年10月6日~ 1975年3月30日
日本テレビ・日曜日の夜19:30~20:00枠

『アルプスの少女ハイジ』
1974年1月6日~12月29日
フジテレビ・日曜日の夜19:30~20:00枠

『フランダースの犬』
1975年1月5日~ 12月28日
フジテレビ・日曜日の夜19:30~20:00枠

1974年1月から『アルプスの少女ハイジ』を見ていた
少年少女と若者は
秋から『宇宙戦艦ヤマト』は始まり、
翌1975年1月から『フランダースの犬』は始まり、
当時家庭用ビデオデッキは存在せず、
どちらか一方をその時間に、
タイムリーに見るしかありませんでした。

当時の視聴者であった少年少女と若者は
難しい決断を迫られた状況だったのです。

もしも『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』が
『宇宙戦艦ヤマト』と時間帯が被っていなかったら
本放送の『宇宙戦艦ヤマト』は視聴率的に
失敗していなかったといわれています。

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アニメオタクを確立させたテレビアニメとアニメ映画

当時の主な人気TVアニメは、
『ルパン三世(第2シリーズ)』(1977~80年放映)
『銀河鉄道999』(1978~81年放映)
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『機動戦士ガンダム』(1979~80年放映)
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現在では名作としてアニメ史上初期の傑作中の傑作、
宮崎駿監督の映画『ルパン三世 カリオストロの城』
は1979年に公開されました。

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その3年後の1982年からは宮崎駿監督が
月刊誌『アニメージュ』誌上で
『風の谷のナウシカ』のマンガ連載が始まりました。

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『風の谷のナウシカ』は1984年には映画化され、
アニメの枠を超え、映画作品として高い評価を得ました。

これらのテレビ番組・劇場公開作品の大ヒットが、
その後の日本アニメ産業の急速な成長を促していったのです。

初の大人向けアニメ専門月刊誌『アニメージュ』
徳間書店から創刊されたのは1978年5月26日でした。

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インドア系趣味の愛好家をオタクと定義される現代

昭和50年代当時インターネットは存在せず、
ビデオデッキといった録画機器の普及率も
一般家庭では低かった時代です。

「アニメの○○の監督は□□という作品にも参画している」
「このアニメのあのシーンは△△というアニメーターが描いた」
というような情報を人づてに入手するか、
ニッチな情報元から得ていました。

一度きりのテレビ放映をタイムリーに
目に焼き付けるように視聴し、
メモとともに記憶していったのが
当時のアニメオタクの姿でした。

当時のオタクは普通の人の日常生活とは違う、
筋金入りのマニアックな知識を収集、収得する日々だったのです。

時間、情熱のそのすべてを、アニメにつぎ込んでいたのです。

初代オタクは良い意味での「変人」であり
後のオタクといわれる人たちの
創生期的時代を切り開いた存在だったのです。

ファミコン(1980年代)とオタク

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任天堂が1983年(昭和58年)7月15日に発売した
家庭用ゲーム機のファミコンが
中・高校生から青年層で大ブームとなりました。

これらのファミコン愛好者がアニメ愛好者と重なっていたため、
これらの愛好家の総称、俗称として
「おたく」と呼ばれるようになりました。

Windows(1990年代)とオタク

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それ以降Windows95の出現とともに
パソコンに傾倒していく若者層が
爆発的に増加していき、
PCマニアも90年代には
「オタク」と呼ばれるようになりました。

インドア系趣味「愛好家」とオタク

どんどん「オタク」が意味するカテゴリは拡大していき、
2000年代にはジャンルに関係なく
中・高校生から青年層の
インドア系趣味「愛好家」を意味する俗称として
「おたく」が使われるようになたのです。

※コチラも参考にご覧ください

【アニオタの歴史】女子と男子で世界が分かれた原点を探る<アニメオタク>

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