2016年から、女ピン芸人の平野ノラさんなど、
「80年代」「バブル」が鉄板キーワードとなっている今日。
2016年の年末には
Y!mobileのTVCMを、
ザ・ベストテンのパロディで
80年代の代表的なアイドル松本伊代と早見優が
当時の衣装と当時の髪型のかつらをかっぶって歌うという
ビックリCMが話題になりました。
今、「80年代」「バブル」がブームなのです。
目 次
「ジュリアナ東京」とは
よくバブルの象徴的なシーンの1つとして、
人々の共通認識が「ジュリアナ東京」です。
「ジュリアナ東京」とは、
1991年5月15日~1994年8月31日まで
東京都港区芝浦一丁目13-10
(JR田町駅東口から徒歩約7分)
で営業していた伝説のディスコです。
日商岩井(当時)とイギリスのレジャー企業共同出資。
総面積1,200㎡(390坪)、最大収容人数は2,000人でした。
「ベンツ」などの高級外車輸入販売で有名な
ヤナセ本社の道路を挟んだ向かい側にありました。
「ジュリアナ東京」の跡地は今どうなってるか
第3東運ビル
(ボウリング場の東京ポートボウルが入っているビル)の
北東側1階が「ジュリアナ東京」の跡地です。
画像中央の「への字」の部分が、「ジュリアナ東京」のエントランスだった部分だった
ちなみに1980年後半~1990年前半は
この「ジュリアナ東京」があったエリアのことを
世は「ウォーターフロント」と呼ばれ
最先端の人気スポットでした。
現在は「ベイエリア」と呼ばれ、
「ウォーターフロント」という言葉じたい使われません。
「ジュリアナ東京」はバブル期の産物ではない
「ジュリアナ東京」の営業期間は
1991年5月15日~1994年8月31日で
(絶頂期だったのは1991年12月~1993年頃まで)
すでにバブル経済は崩壊していました。
人々の共通認識は間違っています。
「ジュリアナ東京」のシーンは
バブル経済の余韻の一端にすぎないのです。
さて、「ジュリアナ東京」はバブル期ではない
ということになると、
80年代のバブル経済から崩壊までの時期的定義は
どう整理付ければいいのでしょうか?
ボディコンにワンレンソバージュ、派手な扇子と
お立ち台で大音響に合わせて狂乱したギャルたち。
この「ジュリアナ東京」がバブル期の象徴とする共通認識は、
確かにうってつけのバブリーシーンで、インパクトも絶大です。
しかし、「ジュリアナ東京」の開業は、
「バブルが弾けた」という概念が一般的になった
1991年のことです。
いわゆる<ジュリアナギャル旋風>は
1992年か~1993年のほんの2年間弱のことです。
好景気感ノリノリは人々の心の中にあったとはいえ、
やはりジュリアナは『バブル崩壊後』の産物になります。
このジュリアナをバブル期の象徴シーンとする
定義(共通認識)は正確には間違えです。
バブル経済の定義はこれだ!
このような場所は、地上げ屋(反社会勢力)に狙われた
バブリーな夜の象徴的な街、東京銀座
大学生を中心に、若者はスキーに興じた(当時スノボーは一般的ではない)
私的な感覚で
80年代のバブル経済~崩壊までの時期的定義を
次のように上げさせていただきます。
①バブル経済前 1980年~1984年 4年間
②バブル予兆期 1985年~1986年 2年間
③バブル無自覚期1987年~1988年 2年間
④バブル自覚期 1989年~1990年 2年間
⑤バブル崩壊期 1991年~1992年 2年間
⑥以降失われた数十年間
以上が、日本が幸か不幸か経験してしまったバブル経済の時期的定義だと思います。
人々がバブル景気に本当に酔ったのは
バブル自覚期の1989年~1990年、たった2年間だけです。
日本史上最も健全な好景気は
バブル経済前1980年~1984年の4年間だったのではないでしょうか。
バブル経済とは、株価と地価の異常高騰が引き起こす、
実体のないものなのですから。
「ジュリアナ東京」を
バブル経済の象徴的な1シーンとするメディア、ネット上に
違和感を覚えたので一応記しておきました。
あなたの参考になればと思います。
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