ホリエモン(堀江貴文)の父親への思い

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堀江貴文氏は1972年10月29日生まれ。

実家は福岡県八女市。

東大文学部中退。

ライブドア社長時代に、
「大阪近鉄バファローズ」「フジテレビ」
の買収に動いて世の注目の的となった。

(いずれも実現しなかった)

衆議院選挙に出馬し亀井静香氏と戦い
僅差で落選している。

2006年には証券取引法違反容疑で逮捕される。

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懲役2年6ヵ月の実刑判決を受け、
2011年6月に収監されている。

2013年3月に仮釈放。

堀江貴文氏の小学生時代、
1970年代に盛んにおこなわれた
百科事典の訪問販売で、
堀江氏の家にも百科事典があった。

小学生の堀江氏はこの百科事典を
最初から最後まで読破している。

このおかげで、小学生時代の堀江氏は
ずば抜けて成績がよかった。

しかし、真面目な生徒ではなく、
掃除や日直の仕事をやらなかったり、
少しでも気に食わないことがあれば
取っ組み合いの喧嘩になった。

そのため教師からは協調性がないとの評価であった。

ただ、小学3年生の時の担任だけは
堀江氏のユニークな才能を見抜き、
学習塾に通い私立中学に進むよう勧めている。

実際、堀江氏は小学4年生になると、
久留米市の進学塾(全教研)に通い始めた。

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堀江貴文氏の父親とは

堀江貴文氏の父親
堀江奉文氏
1943(昭和18)年生まれの、
7人兄弟の末子である。

高校卒業後、
自動車販売会社のサービスマンとして
30年勤めた。

「テレビがあれば満足、
巨人が勝てば大満足、
という人」
「父親は本を読まず、
文化や教養といった言葉とは無縁の、
書斎はおろか本棚すらない父親だった」
と貴文氏は振り返っている。

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父親奉文氏の趣味といえば、
巨人のテレビ観戦かゴルフ。

ヘビースモーカーで酒はビールだった。

貴文氏いわく、
「典型的な高度成長期の父親だった」

いつも仕事で帰りは遅く、
早く帰っても巨人戦をみるだけだった。

巨人が負けると不機嫌になって酒を飲んで、
「肩もめ」とか「背中踏め」と貴文氏にいった。

貴文氏は「眠いから寝るわ」とか言うと
「言うこと聞けねえのか」かと言われた。

父親は九州男児で、
「せからしか」(うるせえ!)とかよく言っていた。

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ホリエモンの実家

貴文氏は幼少のころから、
父親にほめられたことは
ほとんどなかったという。

貴文氏は子どもの頃から理屈っぽく、
父親に理不尽なことを言われると
正したくなり、よく言い返す子どもだった。

そうすると、父親も応戦してきて、
殴られたりとか
庭の木に縛り付けられたりとか
された。

これは、小学生頃の話だ。

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貴文氏は中学になってからは
部屋にこもるようになった。

父親が巨人戦のナイターばっかり見るため、
部屋に自分用のテレビを買った。

この頃には父親との会話は
ほとんどなくなった。

東大を中退して起業した頃、
父親が東京出張ついでに
貴文氏の家に寄ったことがある。

「何で大学辞めるんだ」って
ガーツと言われた。

貴文は「あ、じゃあ俺、
友達んちに泊まるわ」って。

貴文氏は言う。
「僕は結構そういうときは逃げるんですよ。
面倒くさいし、生産性もないし」

父親はホリエモンと正反対の昭和のサラリーマン

サラリーマンになってずっと勤めて家を建てて、
晩年は孫の顔見て過ごすみたいな。

貴文氏は、その生き方に
まったく魅力を感じなかった。

現在も貴文氏からは連絡はしないという。

収監中、1回だけ父親から手紙が来た。

「まあがんばれば」的は内容だったという。

「獄中の息子に書くのに
無難でありがちな手紙って感じ。
返事もしませんでした」

堀江氏の父親はもうすぐ70歳。

「年も取ってきたんで、わりと丸くはなっだのかな。
まあでも、今会っても何かぐだぐだ言われそうな気がするなあ。
まだまだ、長生きすると思いますよ」
と堀江氏は父親について語った。

<この記事は2015年5月当時のメディアに出た、堀江貴文氏のインタビューをもとにしています>

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