使われなくなった駅の公衆電話の列
日本の公衆電話は、長い歴史があります。
しかし全盛期というと、
テレホンカード式の公衆電話を1982年(昭和57年)12月に、
旧日本電信電話公社(電電公社)が開始した80年代。
そしてポケットベル(ポケべル)の爆発的ブームで
公衆電話の利用者が急増した90年代。
以外に公衆電話の全盛期はほんの十数年間にすぎません。
目 次
公衆電話の歴史
公衆電話が日本に登場したのは1900(明治33)年。
上野駅と新橋駅に設置されたのが最初です。
当初は英語を直訳して公衆電話ではなく
「自動電話」と呼んでいました。
1925(大正14)年に「公衆電話」と改称されました。
全国に一般的に普及したのは昭和20年代以降のことです。
1953(昭和28)年に「目立つように」と
赤く塗られた「赤電話」が登場し、
利用者が増えていきました。
公衆電話が当たり前にどこにでもあるようになたのは
1974年(昭和49)年以降です。
80年代から90年代前半にかけてカード式電話の導入や
ポケットベルの爆発的ブームのため利用者が急増しました。
それにともなって、公衆電話の設置台数は84年をピークに
80万台を維持する時期が十数年間続きました。
初期の磁気テレホンカード公衆電話
左:硬貨兼用 (MC-1PN)
右:カード専用 (MC-2)
携帯の普及で減少の一途の公衆電話
90年代後半には、いよいよ携帯電話の一般的な普及が始まると、
日本社会の公衆電話は都心部を中心に
急激に減少の一途をたどりました。
公衆電話もここ10年間で、めっきり影が薄くなっているのは
あなたも感じていることと思います。
ついこないだまで電話ボックスが立っていた場所(都内にて)
携帯電話の爆発的な普及で利用者が激減し、
全国的に撤去が続いています。
1984年に記録した90万台のピーク時の4分の1以下(2017年現在)
に減っています。
年間に1回も公衆電話を使わなかった人が
大半を占めているのが現状です。
しかも利用した人でさえ利用の理由は
「スマホを忘れたから」なのです。
2011(平成23)年3月11日午後2時46分に
東日本大震災が発生した日は、
首都圏では、
携帯がつながらないという大混乱に陥りました。
そんな中で、公衆電話からの発信は難なくつながったことに、
人々を驚かせたのです。
東京都内の帰宅困難者は、
公衆電話に殺到し「災害に強い電話」として
再認識されました。
しかし、NTT東日本は
利用率の低い公衆電話の撤去を続けています。
携帯電話の伸びによる公衆電話の減少は世界的な傾向
森高千里の『渡良瀬橋』に出てくる公衆電話は今?
過去の通話機器になりつつある公衆電話ですが、
そんな中、珍しい公衆電話もあります。
栃木県足利市の理髪店「尾沢理容店」の前にある
公衆電話です。
歌詞に出てくる実際の床屋と公衆電話
歌手の森高千里さんが歌った『渡良瀬橋』に出てくる
公衆電話です。
『渡良瀬橋』は1993年のヒット曲で
「床屋の角にある公衆電話を覚えてますか?♪
昨日あなたに電話がかけたく♪
何度も受話器をとったの♪」
と歌った公衆電話。
この有名な公衆電話も
一時は撤去の対象としていたNTT東日本も、
「観光資源だ」との足利市役所の要請を受けて、
撤去を中止した経緯がります。
まとめ
携帯電話が普及する以前の、
公衆電話が日常の中にあった時代を覚えている世代は、
公衆電話とともに、さまざまな思い出があると思います。
恋人や異性との連絡、
悲喜こもごもの連絡、
ポケベル時代の公衆電話・・・
公衆電話は、携帯電話の普及で
その役目を終えたのでしょう。
しかし、災害時の連絡ようとして、
公衆上の通話機器として消滅することは
近い将来はないと思います。
ネット社会、スマホの時代の便利すぎる今、
今となっては90年代までの、
不便な公衆電話での連絡のやり取りも
良き時代の一風景だったのかもしれません。