バブル時代の女子の正装と言えば、
ボディコンに髪はワンレンかソバージュでした。
本来、身長180㎝以上、すごくボディラインに張りがあって、
ようするにスーパーモデルみたいな体型じゃないと、
なかなか着こなせないはずだったボディコン
(ボディコンシャス<body conscious>の略の和製英語)。
それが1980年代後期~1990年代前期に
日本で独自に進化したボディコンを
全国の20代を中心としたギャルたちが着こなしました。
六本木や三ノ宮や、その他各地の繁華街で
ボディコンギャルたちがブイブイ言わせていました。
同世代の男の子たちは、それを眩しそうに見つつ
ドラクエⅢなんかに熱中していた感じの時代でした。
アズディン・アライア(ファッションデザイナー)
ジュンコ・シマダ、ピンキー&ダイアンなど、
ボディコンで名を馳せたブラッドは数あれど、
ボディコンの創始者をあなたは知っていますか?
その人の名は
ファッションデザイナーの
アズディン・アライア
【アズディン・アライアのプロフィール】
1940年 チュニジアに生まれる(アフブ系のチュニジア人)
1955年 チュニスの美術大学で彫刻を簡単に学ぶ
1957年 パリに移住
パリ左岸の片隅のアトリエでひっそりと服を作っていた
クリスチャン・ディオールのメゾンで5日間だけ働いたのち、
ギィ・ラロッシュのテーラー部門で2シーズン働く
1965年 自身の小さな婦人服店を開く
女優のグレタ・ガルボやクローデット・コルベール、
貴族階級の夫人たちの服を作った
1981年 ボディコンが突然ブレイク
1982年 春夏のニューヨーク・コレクションを皮切りに、
世界中のファッションメディアの注目の的になる
しかしアズディン・アライアは
1990年代半ばにファツションショーから撤退、
メディアにも出なくなりました。
「女性は生涯で魅力を放たなければならない」
と公言していた女性美崇拝者です。
あるインタビューでは
「あなたがこの世に残していった男性が、
いつまでもあなたを忘れられずに
悲しみつづけるほど魅力的であるべきだ」
と言っています。
日本国内ではいまや、
レースクィーンかイベントコンハニオンしか
着なくなっちゃったボディコンを、
いまも忘れられずに悲しみつづける
現代の中高年たちはけっこういると思いますが。