1980年9月に
田原俊彦と松田聖子が出演した、
グリコ アーモンドチョコレート、
セシルチョコレート
のCMが放送された。
高原の赤い電話ボックスで出会った2人が、
その後、高原滞在中に偶然再会し、
ひかれあっていくストーリーだった。
おそらく大学生の設定であろう。
田原俊彦の「ハッとして!Good」の歌詞を
1分間のCMで演じた田原俊彦と松田聖子。
このCMのロケ地は、
避暑、別荘地として有名な
山梨県の清里高原。
清里高原は970年代~80年代にかけて
『an・an』『non-no』に代表される
女性誌がなびたび掲載したことにより、
清里ブームが起きた。
当時、若者が清里に押し寄せ、
観光客目当てのペンションや
タレントショップ、
その他店舗が乱立した。
しかし、1990年代に入る頃から
ブームがさり、
とくに清里駅周辺の商店街は
閉鎖が相次いだ。
ちなみに田原俊彦は、
清里のある山梨県出身である。
また、 映像の中で
一瞬ペンションのテラスで、
2人がアーモンドチョコレートを
食べるシーンがあるが、
このペンションは現在も営業している
実在するペンションだ。
「清里高原ホテル カントリーイン オーチャードハウス」
CMのラストシーンのエピソード
この年の6月、田原俊彦は
デビュー曲「哀愁でいと」が大ヒット。
続いて松田聖子も
7月に2曲目のシングル
「青い珊瑚礁」を発売。
またたく間に2人はトップアイドルへと
駆け上がっていった。
仕事は日々過密スケジュールを極め、
2人はこのグリコチョコレートの
CM撮影日の前夜、
山梨県の清里高原に到着した。
CMのラストシーンの2人が自転車で
高原の道を走り抜けるシーンがある。
田原俊彦は、並んで走る松田聖子に
右手をのばした。
松田聖子は自然に左手で応え、
手をつないだ2人の背中が、
高原のかなたへ遠ざかっていく。
この手をつなぐシーンは、
台本にはなかったが、
田原俊彦の即興に
松田聖子がすかさず応じた
有名なシーンとなった。
当時を振り返り、
「聖子ちゃんとは当時共演する
機会が多くて、
いつも一緒にいました。
クラスメートみたいな感じだった。
手をつないだのは、何となく。
スタジオ以外で会うのも
新鮮だったし、
自然とそういう感じに
なったんでしょう」
と語っている。
江崎グリコ本社は、
このCMに並々ならぬ期待をかけていた。
グリコアーモンドチョコレート、
セシルチョコレートの
前シリーズで、1970年代に
6年にもわたり共演したのが
山口百恵と三浦友和のビッグコンビだった。
その後任という大役を
田原俊彦と松田聖子に託したのだ。
CMは、1980年9月中旬から放送された。
初々しく爽やかな2人の演出と
BGMの田原俊彦の「ハッとして!Good」の
大ヒットで、チョコレートの売り上げは
対前年比10%伸びを記録している。
グリコ苦渋の決断、田原俊彦と松田聖子コンビを断念
しかし江崎グリコ本社は以後
2人の共演を断念せざるを得ない
事態になった。
このトップアイドルの共演に、
それぞれの熱狂的なファンから
猛烈な抗議が江崎グリコ本社に
寄せられたのだ。
松田聖子の事務所、サンミュージックには、
カミソリが入った封筒が届いた。
百恵・友和コンビのように
長く企業イメージにする構想は
この1作のみで封印された。
なお、BGMの田原俊彦の
「ハッとして!Good」は、
CM放送同時期の1980年9月21日に発売され
62万枚の大ヒットを記録している。
また、松田聖子はこのCM後も
80年代多くのグリコのCMに出演した。
当時を知る人にとっては、
突然の田原俊彦と松田聖子の
ビッグコンビCMに驚かされた。
そしてなぜ続編がなく
終了したのか不思議に思った。
このグリコアーモンドチョコレート、
セシルチョコレートのCMは、
1作完結として幻のCMとなった。
ネットの普及とともにYouTubeにアップされ
現在は誰でも視聴できるようになった。