“元祖バラドル”として知られ、
親しみと好感度抜群の
井森美幸さんはもともと
アイドル歌手としてデビューしています。
デビュー以来30年以上が経過しています。
ほんと昔から芸能界にいる人なんですね。
そして、現在でもバラエティ番組で
大活躍中です。
井森美幸さんは、
アイドル全盛期だった80年代の
アイドル歌手の一人でした。
芸歴の長さ、経歴からして大物芸能人です。
しかし、三枚目キャラ、
いじられキャラのため、
大物芸能人という感じを
テレビに出しません。
人柄、性格がとてもいい女性で、
人に威張ることもないでしょう。
現在のテレビ露出度、存在感からして
まぎれもなく大物芸能人です。
そして、大口を開けてハハハァと大笑いし、
そのキャラで隠れていますが、
井森美幸さんはそうとう美人です。
ホリプロがアイドル歌手として
1985~86年当時
かなりの力を入れた逸材ですから、
10代の時もすごくかわいい女の子でした。
井森美幸さんの10代、20代の頃は
どうだったのか
今の若い人たちは知らないと思いますので
今回は井森美幸さんの若い頃を
振り返ってみたいと思います。
本 名 同じ
生 年 月 日 1968年10月26日
出 生 地 群馬県甘楽郡下仁田町(かんらくぐんしもにたまち)
身 長 160 cm
血 液 型 A型
職 業 テレビタレント
デ ビ ュ ー 1985年4月21日アイドル歌手として
所属事務所 ホリプロ
目 次
井森美幸は10代の時、80年代のアイドル歌手だった
井森美幸さんは15歳の時、
1984年(昭和59年)の
第9回ホリプロタレントスカウトキャラバンで
書類選考からすると12万人の中から
グランプリに輝いた
大変な経歴の持ち主です。
このときの
ホリプロタレントスカウトキャラバンには、
鈴木保奈美さん、相原勇さんも参加していました。
ちなみに1981年の
ホリプロタレントスカウトキャラバンの
グランプリ獲得者は
80年代のアイドルスターだった
堀ちえみさんです。
井森美幸さんは
1985年(昭和60年)4月21日に
アイドル歌手としてキャニオン・レコードより
『瞳の誓い』でデビュー。
キャッチフレーズは
「井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません」
このキャッチフレーズは
40代になって井森ダンスと並んで
“いじられネタ”の一つです。
『瞳の誓い』はオリコン週間チャート最高位32位を記録し
順調なスタートを切りました。
ヘアスタイルは短髪のボーイッシュで
すごくかわいい女の子でした。
その短髪の映像があります。
デビュー当時、1985年、16歳の夏、
あの『8時だョ!全員集合』に出演したときの
井森美幸さん。
現在の井森美幸さんとは別人のようです。
とても緊張した面持ち、初々しいです。
特に舞台中央に進むときの横顔の超緊張、
映像から伝わってきます。
そして歌い出す直前、画面が
上半身をアップした時、
ほんの一瞬ですが、
悲しいような、泣きたいような表情が
テレビに映りました。
何回か繰り返し見るとわかります。
この表情は美幸ファンは胸キュンです。
この表情は演技だったのでしょうか?
超緊張からだったのでしょうか?
ご本人に聞きたいところです。
それでは映像をどうぞ↓
この映像内で、井森美幸さんのボーイッシュヘアスタイルの決定的瞬間、かわいい!
↓
この年、テレビ東京主催の音楽祭、
メガロポリス歌謡祭で
優秀新人エメラルド賞を受賞しています。
ライオンの
『Ban16』(1985年)のCMでは、
デビュー曲は『瞳の誓い』の
サビの部分の歌詞を変更した
♪私夏のヒヤシンスなの♪
というバージョンが使用されました。
大手のホリプロのアイドルとして
強力に強くプロモートされました。
しかし、アイドル歌手として
大成することはなく
井森美幸さんは10代で
強い挫折感を味わった
アイドル歌手の一人でした。
デビュー2年目の1986年、
TBSドラマ(1986年)
『遊びじゃないのよ、この恋は』の
主演に抜擢されたものの、
本人の挿入歌『恋は理解力』は
全くヒットすることはありませんでした。
本田美奈子、中山美穂、斉藤由貴、
南野陽子、森口博子、浅香唯、
芳本美代子、松本典子、佐野量子、
おニャン子クラブなど
アイドル歌手としてホリプロから
華々しくデビューはしたものの
鳴かず飛ばずの10代を過ごしました。
シングルも6曲をリリースしたにすぎません。
井森美幸シングルレコード
『瞳の誓い』(1985年4月21日)
『99粒の涙』(1985年7月17日)
『乙女心ウラハラ』(1985年10月5日)
『恋は理解力』(1986年2月5日)
『吐息まじりに恋をして』(1986年6月21日)
『セピア・あなた・かも』(1989年5月21日)
80年代最後の年、
3年ぶりに発売された
シングル『セピア・あなた・かも』は
10代最後の曲となりました。
この曲の発売をもって
19歳の井森美幸さんは
事実上アイドル歌手としての
終わりをむかえます。
井森美幸の若い頃、20代の芸能活動
井森美幸さんが20代だったのは
1989年10月26日~1999年10月25日
のことです。
アイドルスターになることはなかった
井森美幸さんは、
持ち前の明るいキャラで歌手ではなく
テレビタレントとしての活路を見出す
20代でした。
確かに井森美幸さんの20代は
アイドルスターになれなかった
三枚目タレントのレッテルをはられた
芸能人でした。
テレビから消えたわけでは
ありませんでしたが、
現在ほどテレビに出演することは
ありませんでした。
大物芸能人に
井森美幸さんが化けるとは誰一人、
本人すら予想していなかったと思います。
20代の頃の井森美幸さんは
単なるテレビタレント的な存在で、
パッとしたなかった時期です。
この時期は、
プライベートな時間も取れていたため、
長年交際していたという中学時代の同級生との
熱愛が報じられています。
事実婚状態になっていたと言われています。
その彼とはとうの昔に終わっていますが…
井森美幸が出演した主なテレビCM
ライオン『Ban16』(1985年)
ハウス食品 『おいしいWA!』(1985年)
UHA味覚糖 『おさつドキッ!』(1988年 – 1990年)
コーセー
富士写真フイルム フジカラー
『スーパーHG』(1989年 – 1990年)
スズキ『セピア』(1989年)
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スズキ『アルト』(1990年 – 1992年)
日清食品
『どん兵衛』(1990年 – 1994年、菊池桃子と共演)
アース製薬 『モンダミン』(1992年 – )
まとめ
井森美幸氏は10代の頃は別にしても、
若い頃と比べても
「老けない」「かわいい」と
話題になっています。
30代、40代を精神的にも安定して
過ごしてきたあかしと思います。
10代の時にアイドルスターになれなくても
腐ることなくタレント活動をこなした
人柄が推察できます。
今の井森美幸氏のスタンスの原点は
すでに20代で確立していて、
それが今の時代に
いよいよマッチしたものと考えられます。
現在は80年代当時
アイドルスターだった人を越す
大物芸能人となっています。
これからも、きれいな素敵な
年齢の重ね方をしていただき、
ますますの活躍をお祈りしています。
今回は井森美幸氏のサポート記事でした。
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