TBS、1981年(昭和56年)、左から柴田恭平、古手川祐子、田中裕子、森昌子
多くの名作がある山田太一ドラマ。
今回は1981年昭和56年に放送された
「想い出づくり。」を振り返ってみる。
一言でいうと
「20代の女性の
結婚を考えさせられるドラマ」だった。
放送された時代はまだまだ女性は
24歳が結婚適齢期だという考えが
社会に根強くあった時代背景がある。
大ヒットした『想い出づくり。』だが、
意外にもネットや書物での評価が
でていないことが残念だ。
せりふの一言ひとことがレベルが高く、
視聴者に問いかける奥深さ、
山田太一作品らしいドラマだった。
目 次
『想い出づくり。』 主題歌
視聴した人の記憶に必ずといっていいほど
心に残るのが
オープニングテーマ。
パンフルートというルーマニアの民族楽器の
静かな曲だ。
8分50秒と長い↓
物悲しく、しんみりするこの曲は、
このドラマを象徴している。
ドラマ『想い出づくり。』の
世界感を決定づけた曲である。
まさにテーマソング、イメージソングだ。
『想い出づくり。』が放送された1981年当時の社会背景をみる
TBSドラマ『想い出づくり。』は、
1981年9月18日~12月25日にかけて
全14話放送された。
1981年、昭和56年、
バブル経済期までには、
まだ5年の歳月がある一種独特な、
格別な世相であった。
未来が明るく感じる
深層心理が蔓延していた
日本社会だった。
昭和50年代は
「昭和40年代」と
「バブル経済期~平成時代」
をつなぐ時代だった。
昭和56年、この年の日本社会の様子の
一端をみてみる
↓
(現:ららぽーとTOKYO-BAY)
●ファミリーマートが開業

●貸しレコード店大流行
●ロックンロール族が原宿に出現し話題に
●トヨタ自動車が高級クーペ、
ソアラを発売し注目を集めた

※ドラマ『想い出づくり。』の中で
中野二郎はこのソアラ(ベージュ色)に乗っていた。
●アイスの「雪見だいふく」
「ガリガリ君」発売開始
●『なんとなく、クリスタル』
(田中康夫)
1980年文藝賞受賞
1981年に芥川賞の候補作
※この本は当時の若者像を把握するうえで必読書
●『Dr.スランプ アラレちゃん』
(フジテレビ)が1981年4月8日 から
放送開始
(1986年2月19日まで毎週放送された)

●1981年の主な大ヒット曲
『ルビーの指環』寺尾聰
『スニーカーぶる~す』近藤真彦
『長い夜』松山千春
『街角トワイライト』シャネルズ
『チェリーブラッサム』松田聖子
『守ってあげたい』 松任谷由実
余談であるが、『想い出づくり。』は
田中美佐子のデビュー作だ。
当時の芸名は「田中美佐」だった。
『想い出づくり。』の主演は森昌子、古手川祐子、田中裕子の3人
22、3歳の設定の3人の女性たちが主人公。
森昌子、古手川祐子、田中裕子が熱演した。
同級生でもない、同僚でもない、
ひょんなことから巡り合った3人。
まったくタイプの違う3人の女性の
お見合いや男性関係、家庭環境を
交互に描いていくドラマ。
今見ると昭和50年代という
時代の空気を感じる映像と演出。
構成と人物造形が驚くほど次元が高く、
役者も、それぞれみごとに
“いい味”を出していた。
『想い出づくり。』を
決定的なものにした役者は次の5人である。
佐藤慶(田中裕子の父親役)
児玉清(古手川祐子の父親役)
前田武彦(森昌子の父親役)
佐々木すみ江
(田中裕子の母役)
坂本スミ子
(森昌子の母親役)
この5人が『想い出づくり。』の
重鎮(じゅうちん)として
山田太一らしい社会性のあるドラマにした。
『想い出づくり。』と『北の国から』(倉本聰)は同時刻に放映された
『想い出づくり。』が放映されたのは、
1981年9月18日~1981年12月25日、
毎週金曜日の夜10時のTBSだった。
この時間帯、裏番組になる
倉本聰脚本『北の国から』が
フジテレビで放送されていた。
山田太一、倉本聰の両巨匠が40代の頃、
同時刻にテレビ放映がされたという事実。
当時は、ネットがなく
テレビが唯一の映像メディアであり、
テレビが世に多大な影響を与えていた
時代だ。
『北の国から』初回シリーズは、
1981年10月9日~1982年3月27日
の放送だった。
そのため『想い出づくり。』が最終回以降の
1982年1月からは
『北の国から』の視聴率が急上昇している。
このことからも両ドラマがいかに
視聴率で激戦であったかが推察できる。
放映当時の1981年、昭和56年は
ビデオデッキが普及する直前の時代だ。
日時が重なった
1981年10月9日~1981年12月25日
の秋口から年末にかけて、
視聴者はどちらを見るか
難しい選択を迫られた。
山田太一作品『ふぞろいの林檎たち』は『想い出づくり。』放送の2年後にスタートした
『想い出づくり。』放送の2年後、
1983年5月27日~7月29日、
同じTBSで山田太一原作の名作ドラマ
『ふぞろいの林檎たち』
初回シリーズ(全10話)が放送された。
『ふぞろいの林檎たち』は
都内の三流大学に進学した、
3人の男子学生の生き方、葛藤に
焦点をあてた。
中井貴一、時任三郎、柳沢慎吾の3人が演じた。
対して『想い出づくり。』は
昭和時代にいわれていた
女性の結婚適齢期とされていた
24歳を前にした、
3人の女性の生き方の
葛藤を描いたものだった。
2つのドラマの共通しているところは、
どこにでもいるありきたりな若者の生き方
を表現し、視聴者に問いかけている。
上の『ふぞろいの林檎たち』の画像でも、
「学校どこですか?」
「恋人がいますか?」
「生き生きしてますか?」
「何を求めてます?」
となっている。
山田太一らしかった。
山田太一原作のドラマ
『想い出づくり。』『ふぞろいの林檎たち』
のような若者は
現代にはいないかもしれない。
しかし、現代の若者に
昭和50年代の山田太一の問いかけに
耳を傾けてほしい。
きっと何か気づかせてくれるせりふ、
情景があるはずだ。
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山田太一原作ドラマ『想い出づくり。』のあらすじ
ドラマの主役は、結婚適齢期といわれていた
24歳を目前にした女性3人。
吉川久美子(古手川祐子)
池谷香織(田中裕子)
3人が知り合うきっかけとなったのは、
現在ではありえない、繁華街で声をかける
海外旅行のキャッチセールスの
被害者同士だったことだ。
それぞれ20万円ほどを
だまし取られてしまう。
3人の日々の生活と両親との関係を
みごとに描写したドラマ。
3人の主役の中でも、
特に吉川久美子を演じた古手川祐子が
当時アイドル的な女優であり、
相手役は若かりし頃の柴田恭兵だ。
そうなると視聴者的には
吉川久美子の心理描写が
ドラマ『想い出づくり。』の
中核となっていた感がある。
吉川久美子(古手川祐子)
吉川久美子は静岡県内の商店街で、
洋品店を営む両親のもとを飛び出し、
小田急のロマンスカーの
客室乗務員をしていた。
悪徳会社のキャッチセールスマン
根本典夫(柴田恭平)を問い詰め
何とかお金を取り戻そうとする3人は
友情を深めていく。
そして、なんとキャッチセールスマン
根本典夫に吉川久美子は告白される。
当初は根本典夫を毛嫌いしていた
吉川久美子だが、
しだいに根本典夫に惹かれていき、
吉川久美子が根本典夫に
メロメロになってしまうという展開だ。
父(児玉清)はそんな久美子を心配し、
何とか静岡に連れ戻そうとする。
父の“悪い男”根本典夫に対する
迫真の演技も見ものだ。
※この記事の最後の「想い出づくり予告編集」
5分10秒の部分
佐伯のぶ代(森昌子)
ガム工場に勤める、地味な女性。
父(前田武彦)、母(坂本スミ子)、
高校生の弟の4人家族。
佐伯のぶ代の住宅内部や家族描写が
昭和50年代を垣間見る
みごとな演出だった。
佐伯のぶ代は父の勤める工場の社長の甥、
中野二郎(加藤健一)と見合いをした。
中野二郎は岩手県の盛岡で
ドライブインを経営している。
佐伯のぶ代は中野二郎を
生理的に受けつけなかった。
それなのに、中野二郎の
強引に繰り広げられる求婚は見ものだ。
のぶ代は、落ちこぼれの高校生の弟を
中野二郎に面倒見てもらったことへの
感謝の気持ちと、
そして何より二郎が自分を
好いてくれることにほだされたこともあり、
二郎との結婚を決意した。
ところが、婚約したとたんに
亭主関白にひょう変した中野二郎に
のぶ代は不信感をもつ。
※この記事の最後の「想い出づくり予告編集」
7分30秒の部分
あわただしく
盛岡で結婚式を挙げることになったものの、
のぶ代は披露宴の控室で
やっぱり二郎にはついていけないと、
涙ながらに吉川久美子、池谷香織の2人に
打ち明ける。
3人は控室に立てこもり、
披露宴は花嫁不在のまますすめられ、
披露宴をだいなしにした。
※この記事の最後の「想い出づくり予告編集」
8分35秒の部分
池谷香織(田中裕子)
商社のOLしている池谷香織。
社内での女性の地位の低さに
不満を感じながらも、
「お茶くみ」や「コピー取り」といった
日々の仕事に甘んじている。
実家は福島。
役所勤めをしている堅物の父(佐藤慶)は、
二言目には結婚だ、見合いだと口にする。
仕事をやめて実家に戻ろうにも、
兄夫婦がいて居場所がないし、
折り合いの悪い兄嫁と母(佐々木すみ江)と
生活することはあり得なかった。
結婚相手については、
もちろん誰でもいいというわけではなく、
できれば燃えるような恋愛をしてみたい
と望んでいるが、
現実にはおもしろいことは何も起きない。
ドラマの展開では池谷香織には、
結婚相手が現れない。
ドラマ内では「理想の男性は根津甚八」
という池谷いう場面がある。
しかし、最終回でひょんなことから
根津甚八そっくりな人と出会い
後に結婚したという設定だ。
実際に根津甚八が最終回に
“セスナのパイロット”役でゲスト出演した。
※この記事の最後の「想い出づくり予告編集」
10分50秒の部分
まとめ
他の山田太一作品と同じように、
『想い出づくり。』にも、
思わずハッとさせられる
せりふがたくさん出てくる。
キャッチセールスにだまされた
とわかった3人の女性に対して、
根本規夫(柴田恭兵)がドスを利かせた声で、
「ちまちま20万ちょっと貯めて、
ヨーロッパへ十日ぐらい行って、
それで青春の想い出はできたって?
笑わせるぜ!」
「他になんにもねえのかよ、
手前ら、結婚までに、
他になんにもねえのかよ!」
※この記事の最後の「想い出づくり予告編集」
1分20秒の部分
この場面で、3人は根本に言い返しながらも、
根本のみごとに核心を突いた言葉に
動揺を隠せない3人をみごとに描いている。
披露宴のボイコットという
「事件」を引き起こした3人の父親が、
事後処理の話し合いをするために
飲食店の和個室で会食する。
池谷香織の父(佐藤慶)と
吉川久美子の父(児玉清)の言い争いは、
つい父親としてのホンネが出てしまう、
生々しい名シーンだ。
※この記事の最後の「想い出づくり予告編集」
10分8秒の部分
心に刻み込まれるセリフ、シーンが
あまりにも多いドラマだった。
冒頭でも記したが、
大ヒットしたテレビドラマであるが、
意外にネットや書物での評価が
でていないことが残念だ。
『想い出づくり。』が制作、放送された
1981年(昭和56年)と現在では、
女性の人生観、社会環境とも激変している。
しかし、1981年当時も現在も、
女性にとって「結婚」と「仕事」は、
非常に大きな考えさせられるテーマ
であることは変わりない。
ただ、1981年当時、
現在の日本社会とは比較にならないほど、
女性が結婚して家庭に入ることは
当然という固定観念が普通の時代だ。
『想い出づくり。』は当時の20代の女性の
生き方、人生観に一石を投じた
山田太一作品らしい
社会性のある内容であった。
娯楽ドラマとは次元の違う
レベルの高い内容だ。
80年代、昭和50年代の
テレビドラマの傑作の一つだ。