【携帯とバブル時代】携帯電話の歴史と社会背景を簡単に振り返る


今やほとんどの人が、特に若者は
全員スマホを常に持っている時代です。

いよいよガラケーを持っている人が
珍しくなり、
現在販売されている機種も
ほんの数種類のみになりました。

80年代後期の携帯電話の発売初期は、
ほんの一部の限られた、会社経営者や富裕層、
あるいは、会社がNTTと契約して
社員に持たせるなど、
普通の人には“高嶺の花”、
とても高価な代物だったのです。

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携帯電話の普及初期はバブル時代だった

バブル時代(バブル経済期)とは
1986年(昭和61年)12月~
1991年(平成3年)2月の

4年2ヶ月間の日本社会をさす。

携帯電話の普及初期は大変高価なものでした。

しかし、NTTが販売に力を入れ、
バブル経済期で社会全体が
高揚した雰囲気の中で、
人々の注目を集め、
携帯電話は社会に浸透していきました。

当時、バブル紳士の象徴といえば
ベンツ、ジョルジオ・アルマーニや
ラルフ・ローレンなどの
高級輸入ブランドスーツと
いろいろありましたが、
忘れてならないのがこの携帯電話です。

小脇に抱えて街をかっぽするのが
“成功者”のステイタスだったのです。

当時のベンツに乗るようなもの
だったのかもしれません。

大きな携帯電話を使って
話している人を見ると、
周囲には珍しさと、羨望のまなざしで
見られたのです。

携帯電話の普及し始めた時期と、
バブル経済期は一致しています。

日本における携帯電話の普及は、
バブル経済期によってもたらされた
歴史の必然だったのかもしれません。

携帯電話の発明、開発は日本の電電公社(現NTT)

あなたは携帯電話の発明、開発が
バブル経済期に向かっていた1980年代の
日本電信電話公社
(電電公社・現NTT)
だったことを
ご存知ですか?

携帯電話の考えの起源は
1959年から始まった船舶電話です。

電電公社によって「移動可能な電話」
まず船舶用に1950年代~70年代にかけて
開発されました。

ただ、このシステムは
現在の携帯電話とはまったく違うものです。

1979年に自動車電話サービスが始まり、
これが現在のシステムの起源となるものです。

「自動車から外に持ち出せる自動車電話」
と称して、
世界で初めて携帯電話を、
NTTが世に発売したのが
1985年のことでした。

この時の携帯電話の大きさは
軍の無線機のような大きさでした。

当時の名称「ショルダーフォン」
という名の通り、
まさにショルダーバッグみたいに
本体を肩にかけ、
レシーバー部分が分かれていました。

重さが3㎏、
契約は自動車電話に分類されていました。


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世界初の携帯電話は、NTTが1987年発売のTZ-802型

1987年(昭和62年)2月には、
世界初の「携帯電話」と称した
一体型のTZ-802型(下写真の機種)が
いよいよ登場しました。

スマホを肌身離さず持つ、
いまどきの若者には、
想像もできない初期の携帯電話です。

現在の携帯電話の原型ともいえる
TZ-802型は、
重さが約750グラムと当時としては
画期的に小型化され、
世を驚かせました。

ショルダーフォン
〈充電容量〉
充電所要時間:8時間
連続通話時間:40分
待ち受け時間限度:6 時間
〈料金システム〉
加入料:29万円
補償金:20万円
月額使用料:2万6千円

現在では考えられない
充電の低容量と高額な料金システムでした。

もちろん、この時はまだ
ソフトバンクもauも存在しない
NTT独占の市場でした。

ちなみに、当時の固定電話であっても、
電電公社(現NTT)時代には
東京―大阪間が3分間400円という
今では信じられない通話代でした。

歴史的なバブル期突入時、
1988~89年にかけて
日本移動通信と第二電電が
携帯電話サービスを開始しています。

この二つは後に合併し、今のauです。

この日本の”携帯電話普及創生期”は、
NTT、日本移動通信、第二電電の
互いにキャリア同士でなくてはつながらない
という大混乱した時代でした。

そして
1992年にはNTTドコモが設立され、
携帯電話巨大市場の戦国時代へと
突入していったのです。

ポケベルが一時代を担ったのは1990年代

「ドコモのポケベル」といえば1990年代、
10代の時の広末涼子のテレビCMだった

1985年 ~1991年頃、
自動車電話、持ち歩き電話(携帯電話)の
普及創生期に並行して普及し始めたのが
ポケベルです。

外回りの営業職の人や
高校生など若者の友達との連絡手段と、
多くの人がこの先端技術の一つ
ポケベルを持ち歩きました。

高校生でも持てる契約料金で、
どこにいても連絡が取れることは、
当時の人には画期的で
非常にありがたい存在だったのです。

1992年~ 1996年前半までが
ポケベル時代といえる時期です。

この時期は、携帯電話は依然として
“高嶺の花”であり、
若者が普通に持てる時代では
ありませんでした。

特に、1996年前半がポケベル最盛期となり、
文字送信も可能な機種が発売されました。

機種も機能も各メーカーが極めた瞬間でした。

この時を境に、日本社会はいよいよ
携帯の一般普及の時代へと突入していきます。

「ポケベルをやめて携帯を持つ」
という時期でした。

携帯が普及し始めた1990年は
携帯電話に反比例して
ポケベルは衰退していきました。

そしてポケベルは2000年以降
衰退の一途をだとり
人々から忘れ去られ消滅しました。

現在のスマホでは通話は一機能にすぎません。

連絡の手段は通話はあまり使わず、
LINEやメールを使うことが
一般的になっている時代です。

しかし、1980年代の携帯電話は
ただ通話するだけのみにつくられた機器で、
まさに“携帯電話”そのものだったのです。
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スマホの出現は2010年代、劇的に普及した

1980年代~1990年代の携帯電話は
通話しかできない機器でした。

1990年代後半~2000年代にかけて
普及していた
フィーチャーフォン(ガラケー)
「ショートメッセージサービス(SMS)」
機能が搭載され、
インターネット閲覧機能をも備えるなど
十分な高機能に進化していました。

フィーチャーフォンの
「メールの絵文字」
「携帯専用サイト」
「おサイフケータイ」
「ワンセグ」
「赤外線通信」だどは
海外の携帯電話にはまったくない機能も
搭載されていました。

フィーチャーフォンは
日本独自で進化したものであり、
海外の人には理解しがたい機能でした。

日本の携帯電話機器が
輸出されることもなく、
また、海外の携帯電話機器が
輸入されることもありませんでした。

日本国内のみで進化を遂げた
フィーチャーフォンだったのです。

これが、ちょうどガラパゴス諸島の
生物の独自進化となぞらえて、
「ガラパゴスケータイ→ガラケー」
となったのです。

しかし、フィーチャーフォンは
インターネットも限定的にしか
閲覧できませんでした。

また、スマホのように自由にアプリを
ダウンロードしたり、削除したり、
OSをバージョンアップすることは
当然できませんでした。

対して、2010年代に劇的に普及した
スマートフォンは、
インターネットをPCのように閲覧できます。

またアプリも自由にダウンロードしたり
削除することができます。

OSのバージョンアップも可能です。

2010年代中盤以降のスマホでは、
高速通信(LTE)機能や、
AIを使った音声認識による
バーチャルアシスタント機能を備えるものも
数多く発売されています。

まとめ

以上のように自動車電話から
現在のスマホまでを
簡単い振り返ってみました。

1980年代後期からは携帯電話が
その時代時代の社会に
パソコンとともに大きくかかわってきました。

2010年以降はスマホの登場で、
パソコンのような使い方が
できるようになりました。

まさに“ポケットパソコン”です。

若者から中年層まで忙しい現代社会で、
携帯電話とパソコンの特性をあわせ持った
スマホの出現は
時代の必然だったのかもしれません。

そう考えないと、
ここまで短時間にスマホが普及し、
ポケベルが忘れ去られ、
ガラケーが過去の遺物になった
説明がつきません。

20世紀末期から今現在、
最も高速で進化したテクノロジーは
「携帯電話、パソコン、スマホ」
といわれています。

今後はそれに
「AIと量子力学」が加わると私は考えています。

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