柏原芳恵の現在と結婚しない理由/「春なのに」で紅白初出場(1983年)

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柏原芳恵プロフィール

【本名】
柏原 芳恵
かしはら よしえ)

【生年月日】
1965年10月1日

【出身地】
大阪市

【学歴】
1984年 堀越高校卒業

【芸能界入り】
1979年秋、
「スター誕生!」(日本テレビ)
でスカウトされ
メジャーデビューのきっかけをつかんだ。
1980年デビュー

【デビュー曲】
「No.1」(1980年6月1日 発売)


1980年「8時だョ!全員集合」(TBSテレビ)に出演したデビュー当時の柏原よしえ

【代表曲】
「ハロー・グッバイ」(81年)
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「春なのに」(83年)
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柏原よしえ~芳恵のアイドル時代

柏原芳恵の決定的なヒット曲は
デビューから1年以上が経過した
1981年10月15日に発売された
「ハロー・グッバイ」
柏原芳恵の最大のヒット曲となる

この曲はアグネス・チャン
1976年に出したシングル曲

「冬の日の帰り道」のB面に収録されている
ハロー・グッドバイ」のカバーだった。

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「花梨」
(1982年10月1日発売/作詞・作曲:谷村新司)

この曲より「柏原よしえ」から「柏原芳恵」へ
名前を漢字に変更している。

2回目の大ヒット曲は
卒業時期に泣ける楽曲
「春なのに」(1983年1月11日発売)だった。

「春なのに」の 作詞、作曲は
あの中島みゆきである。
「春なのに」「第34回NHK紅白歌合戦」
初出場を果たした。

1985年9月11日に発売された
「し・の・び・愛」(作詞・作曲: 高見沢俊彦)
高見知佳が1979年に出したシングル曲
「セザンヌの絵」B面に収録されている
「しのび逢い(Don’t Leave Me Alone)」のカバーで、
歌詞が一部変更された。

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この曲で「第36回NHK紅白歌合戦」
2年ぶり2度目の出場となった。

「あなたならどうする」(1989年12月6日)
この曲を最後に、
アイドル歌手として10年間
毎年2~3曲発売していた
シングル発売は終わった。

アイドル歌手を辞めてからの柏原芳恵

1986年以降は歌手としての活動よりも
女優活動が目立つようになっていた。

2時間ドラマに多数主演している。

1989年にスカウトTV番組「スター誕生!」で
スカウトした所属芸能事務所
(株)ゴールデンミュージックプロモーションから
他事務所に移り、1992年に独立している

1992年頃まではかろうじて
2時間ドラマに出演していたが、
以降柏原芳恵は
テレビ出演がめっきり減少する。

これはちょうど“バブル期”の終焉
一致している。

まさに柏原芳恵は80年代~バブル期に輝いた
アイドルの一人といえる。

柏原芳恵の現在と結婚しない理由

柏原芳恵がテレビにほとんどでなくなった裏事情には、
ある男性の存在が関係しているといわれている。

柏原芳恵は現在でも、
2001年に一部で報じられた
不倫略奪愛同棲の相手の“内縁の妻”として
生活しているという。

その男性の体調がよくなく、
今は芸能活動よりも
“内縁の夫”の付き添いを優先
していると
2016年9月26日号の「週刊文春」
報じている。

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柏原芳恵の“内縁の夫”とはどんな人物か?

この男性は、柏原さんよりも22歳年上の中国人で、
出会いは柏原芳恵がもはやアイドルではなくなった
1990年、25歳の時だった。

1990年にVシネマ
 柏原芳恵主演の「女ギャンブラーリベンジ香港」
の ロケ先の香港でアクションを指導したのが
この男性だったといわれている。

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さらに、翌91年には
日本と香港の合作映画
「メイプル・オン・ファイヤー」では
この男性が監督を務め、
その主演が柏原芳恵だった。

この映画は日本で全くの無名である。

つまり、2年間に2回の海外ロケを
一緒に過ごしたことが、
2人にとって決定的であった。

実はこの男性は、
香港や台湾では
著名な武闘家として活躍し、

カンフー映画のファンには
知られた存在だったという。

しかし、この男性には
妻と当時中学生、小学生の子供がいた。

“略奪愛”と世間から騒がれても
しかたがなかった。

結局男性は家族を香港に置いたまま
日本に在住し、
柏原芳恵を選んだのだ。

男性は、柏原芳恵自身が社長の個人事務所の
エグゼクティブプロデューサー
名刺を持ち歩くようになり、
その後その事務所の取締役になっている。

現在にいるまで、
柏原芳恵が建てた自宅兼事務所の
都内の一戸建てに同居しているという。

柏原芳恵はデビュー当時
あまりの可愛さに
世の男の子を夢中にさせた
1980年代初頭のトップアイドルだが、
男性関係で特殊な人生を歩んでいる。

テレビに出ることはなくなった
柏原芳恵の“現在の身の上“が、
輝かしいトップアイドル歌手から始まった
芸能人としての持続性を
打ち切ってしまったのではないか。

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近年の柏原芳恵

しかし柏原芳恵と内縁の夫本人が幸せならば、
それはそれでいいのかもしれない。

しかし、もしも不倫略奪愛ならば、
泣かせた妻子がいたわけであり、
芸能人柏原芳恵としては
決定的な影を落とす。

柏原芳恵の楽曲が
切ないものが多いが、
彼女の人生とだぶる。

なお柏原芳恵は河合奈保子と同期である。

柏原芳恵は1979年秋、
「スター誕生!」(日本テレビ)で
スカウトされた。

同年12月に河合奈保子も
新人発掘コンテストで優勝し、
柏原芳恵と同じ1980年6月1日
レコードデビューを果たしている。

哀愁を感じさせるセーラー服姿の
柏原芳恵が印象に残るジャケット
「春なのに」をリリースした1983年に、
この曲で第34回NHK紅白歌合戦出場した。

まさに、1983年、昭和58年が
柏原芳恵の芸能活動絶頂期であった。

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